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『熱帯』:森見登美彦【感想】|かくして彼女は語り始め、ここに「熱帯」の門は開く

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 2019年本屋大賞の第4位にランキングされた作品です。著者が描く独特の世界観は何かと話題になります。今回が3冊目なので森見ワールドに関しては初心者ですが、一度読むと忘れられない雰囲気を感じ取れます。言葉では言い表しにくいですが。

 誰も読み終えたことのない謎の本「熱帯」を巡る物語。謎を巡るという意味ではミステリーと言えますが、その一言で表現できるものではありません。現実の世界から始まった物語は、ファンタジーとの境界を跨ぎ不思議な世界「森見ワールド」へと誘われます。500頁を超える長編ながら、引き込まれ出すと止まらないのが著者の作品でしょう。 

「熱帯」の内容

沈黙読書会で見かけた『熱帯』は、なんとも奇妙な本だった!謎の解明に勤しむ「学団」に、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと、「部屋の中の部屋」…。東京の片隅で始まった冒険は京都を駆け抜け、満州の夜を潜り、数多の語り手の魂を乗り継いで、いざ謎の源流へ―!【引用:「BOOK」データベース】 

「熱帯」の感想

みが分かれる

 起承転結で構成された明確なストーリーを読み取ることは出来ません。分かりやすさを求めるなら、著者の作品は向いていないかもしれません。道なき道を歩んでいくような小説です。

 本作の目的地は「熱帯」の謎を解き明かすことです。しかし目的地はどこにあるのか。今、自分はどこにいるのか。どの方向に向かっているのか。また、向かうべきなのか。まるで迷路に迷い込んだような気持ちにさせます。出口を探している自分自身の存在さえ曖昧になります。それでいながら、ストーリーや登場人物が支離滅裂で理解不能になっている訳ではありません。理解が追い付かないことに不思議な感覚を感じてしまいます。その感覚を楽しめるかどうかなのでしょう。

 小説を読み終えた時の充実感を求めるのは自然なことです。読んできた過程が結末で纏められ終結する。その気持ち良さも小説の醍醐味のひとつです。本作も結末は訪れますが、私が抱いていた全ての謎を解き明かしたものではありません。辿り着いた場所は、当初の目的地ではなかったかも。しかし、目的地にしてしまってもいいのではないかという感覚です。

 森見ワールドと称される世界観はあまりに独特で読者を選ぶでしょう。私は他の作品も読んでみたいと思っているので、入り口を覗きこんでいるくらいかも。 

実と非現実

 冒頭、著者の森見登美彦が登場します。小説内の現実ではなくて、本当の現実から始まります。ここで描かれていることは著者の現実の経歴と経験でしょう。私小説として描かれた小説なのだろうか。しかし、佐山尚一の「熱帯」の話が登場します。本当の現実と小説内の現実が混じり合ってきます。どこまでが著者の現実な話で、どこからが小説内の設定なのかを混然とさせてきます。徐々にフィクションの世界が染み込んでくる印象です。

 第一章は、著者の現実と作られた世界との狭間を行き来している不思議な感覚を覚えます。登場する「千一夜物語」は、本作の重要な要素になります。「千一夜物語」と「熱帯」の関係性は、この後もずっと登場し続けます。「熱帯」は「千一夜物語」を映したものと言えます。第一章の最後に「かくして彼女は語り始め、ここに『熱帯』の門は開く。」とあります。「熱帯」は第二章から始まるのでしょう。第一章はプロローグ的な位置付けでしょうか。熱帯の出自を著者自身が語ることで、熱帯に対する興味が膨らんでいきます。

 第二章もフィクションとは言え、現実世界を舞台にした物語です。熱帯の秘密に迫っていく展開はミステリーです。 

解くべき謎は、熱帯のストーリーなのか。最後まで読めないこと自体が解くべき謎なのか。 

 このふたつの謎は同じようで違います。物語は前者を追及しながら進んでいきます。前者が解明されるということは、後者は自然と解決していることになるからでしょうか。第一章と第二章は著者の現実と小説内の現実の違いはあっても、現実を舞台にしているという意味では同じです。言っていることが分かり難いかもしれませんが。ただ、第三章の池内氏の手記から一気に様相が変わります。語り手が誰なのか。場所はどこなのか。時間はいつなのか。それすら一定しません。全てが迷路のように入り組んできます。現実をベースに非現実を取り込んでいくのではなく、非現実に現実が取り込まれていきます。非現実の世界は出口も分からず、進むべき方向も分かりません。ただ進んでいきます。著者の作り出す世界へ導かれていくことになります。 

一夜物語

 先述したように本作の重要な鍵は「千一夜物語」です。私は未読なので、詳細なことは分かりません。著者はマルドリュス版の「千一夜物語」が面白いと評しているので、機会があれば読んでみたいと思います。

 「千一夜物語」では物語中の登場人物が物語を語り、まるで入れ子のような構造になっているということです。また、シャハラザードが生き残るためには物語を終わらせることは出来ません。このふたつは「熱帯」に通じるものがあります。通じるというよりは、このふたつの特性を持ったものが「熱帯」という小説を形作ったのでしょう。

 「千一夜物語」を読んでいるかどうかで、本作の受け取り方が違ってくるのでしょうか。未読の私には判断が付きませんが重要な要素です。未読なのは幸いなのかもしれません。「千一夜物語」を読んでから本作を再読すれば、その違いを感じることが出来ます。「熱帯」が全く違う読み物になるのか。それとも変わらないのか。そのことが楽しみです。 

釈の必要性

 著者の意図を正確に理解することに意味があるのかどうか。本作を解釈することは難しいし、そもそも解釈がひとつだけなのでしょうか。もちろん解釈がひとつだけ、答えがひとつだけという小説もあります。しかし、森見登美彦の小説は読者の数だけ解釈があってもいい気がします。自分自身が感じた事をそのまま受け止める。それが許されるのが森見ワールドだと思っています。ということなので、私の解釈は的を得ていないかもしれません。あまり厳しく追及しないでください。

 「千一夜物語」のシャハラザードは、物語を続けることを目的にしています。「熱帯」においても、物語が終わらないことが目的のひとつとしてあったのでしょう。だからこそ、最後まで読むことが出来ない小説として語り続けられることになる。一方、終わらないということは数限りない物語が必要になってきます。すなわち、ひとつの筋書きだけを求めていくことも出来ない。読み手の数だけ「熱帯」が存在するということは、それを表現しているのでしょう。「熱帯」と「千一夜物語」をリンクさせることで、「千一夜物語」が持っている謎や多くの人を引きつける魅力を「熱帯」にも繋げています。いい意味で千一夜物語を利用しています。

 また、物語は何もないところから生み出されます。

何もないからこそ、何でもある。

 それは解釈にも通じるところがあるのではないでしょうか。物語の解釈は、読者が行います。読む前に解釈など出来ません。では、読後はどうでしょうか。未読の時に何もなかった状態から、読後にはどんな解釈をしようと構わない。何もなかったからこそ、何でもある。解釈は自由ということです。もしかしたら解釈自体が不要ということも含んでいるのかも。

 もちろん、この一文は物語中で意味を成す言葉です。読者の解釈にまで言及したものではありません。私が都合のいいように使わせてもらったに過ぎません。そもそも解釈するために読んでいる訳ではありません。読んでいること自体を楽しむのが目的であり、解釈は付属品のようなものかもしれない。本作は脈絡のない展開に理解が追い付かない部分が多い。しかし読んでいる間は引き込まれていきます。理解と楽しむことは必ずしも一致しないということです。 

終わりに

 物語が終わった時、全てが繋がりません。重なり合う部分もありますが、全体として微妙な同一性と不一致を存在させています。沈黙読書会は存在するが、冒頭とは違っています。そのズレが不思議な感覚を覚えさせます。

 森見ワールドは嵌まる人は嵌まるでしょう。ただ、数冊読んだだけでは判断が付かないのも事実です。不可思議な世界を描いていますが、不可思議だからこそあらゆる世界を描くことが出来ます。著者は京都の不可思議性を強く感じているから、京都が舞台になることが多い。私もまだ森見ワールドの良さを真に理解していません。もっと読んでいきたいと思います。