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『さよならドビュッシー』:中山七里【感想】|彼女の存在はピアノの中に

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 第8回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作です。本作で登場するピアニスト「岬洋介」のシリーズ第1作目になります。2013年に映画化、2016年にドラマ化されています。映画のキャスティングは橋本愛と清塚信也。ドラマは黒島結菜と東出昌大です。現役ピアニストの清塚信也をキャスティングするところが面白い。私はどちらも未視聴なのですが。

 ミステリーをベースにしていますが、どちらかと言えばヒューマンドラマであり音楽小説です。大袈裟な言い方ですが、生きていくことの意味と自身の存在の確かさを問う作品です。作中で起こる事件の数々は、緻密に計算されたものではありません。行き当たりばったり、その場の判断によるものが多い。読者が伏線と言う手掛かりを探し出し、答えを求め、結論に繋げる醍醐味は少ない。一方、生きていくための苦しさや存在の不確かさを前に、それでも前を見て生きていこうとする主人公に魅せられます。ミステリーとの関連性は絶妙とは言い難いですが。

 ネタバレはします。元々、ミステリー要素はそれほど巧妙ではありませんが。 

「さよならドビュッシー」の内容

ピアニストを目指す遙、16歳。祖父と従姉妹とともに火事に遭い、ひとりだけ生き残ったものの、全身大火傷の大怪我を負う。それでもピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件まで発生する―。【引用:「BOOK」データベース】 

「さよならドビュッシー」の感想

ての始まりは・・・

 ミステリーの発端は突然発生した火事です。火事以前は、遥とルシアの関係性(外見・性格・血縁)を描くことにより、2人の同一性と非同一性を描いています。このことは物語のベースであり、結末での謎解きに必須であり、大きな伏線です。ただ、大きすぎて伏線だとすぐに分かってしまうのですが。

 火事で何が起こったのかは、遥の一人称で始まった物語が火事を境に様相が変わることで透けて見えます。玄太郎が資産家だったことで相続争いがミステリーの主軸のように思わせますが、本当の謎は火事の前後の遥の変化です。火事により人物特定ができないほどの全身大やけどを負い、倒れていた場所と着ていた衣類のみで遥と特定されます。新条医師が説明する火事の救助状況も加わり、早々に遥の正体が分かってしまいます。ミステリー好きでなくても、遥=ルシアに気付くでしょう。ただ、その前提に立つと様々な疑問が出てきます。

  • 何故、明かさないのか?
  • ルシアが生き残ったのは偶然か?

 ルシアが正体を隠す意図と火事の発生と相続にどういう関係があるのか推理する必要が出てきます。また、遥の母の転落死は状況から事故死とは言い難い。この死が意味するものは何なのだろうか。

 物語の核心は、遥=ルシアということです。ルシアには何らかの意思なり目的があるはずです。そこに誰かの意志が関わっているのか。関わっているなら、どのくらい影響しているのか。

 火事に関してはルシアは被害者です。あまりにも大きな火傷を負っています。もしかしたら死んでいたかもしれません。計算して起こした火事とは思えません。彼女が言い出せないのは、今更言えないという理由が一番妥当に見えます。ルシアが悪意のある殺人者だと思いたくないという感覚もありますが、ルシアに同情的になります。一方、予想を裏切った展開を期待してしまいますが。 

アノに懸ける

 遥(ルシア)の苦痛・苦しみとピアノに懸ける情熱を描くことで、彼女に対して同情的になるよう誘導しています。ルシアが遥になった時点で、ルシアは存在しなくなります。ルシアの存在を証明するものはピアノだけです。彼女のピアノは間違いなくルシアのものであり、遥のものではありません。ルシアは生きていますが、同時に死んでもいます。その矛盾に苦しみます。誰でも、何かに拠って生きていかないと自身の存在が信じられなくなるのでしょう。

 ルシアは遥となることで今まで生きてきた人生を捨てました。失ったと言うべきでしょうか。遥として認識されることや評価されることは、ルシアの存在をさらに否定していきます。大やけどから立ち直るたびに、ルシアは存在を失っていきます。ピアノだけがルシアを助けるのでしょうか。しかし、ピアノの評価は遥として評価されていきます。ただ、ルシアだけは奏でた音楽がルシアのものだと知っています。誰も知らなくても。

 岬洋介は、ルシアの存在を認めてくれたのでしょう。もちろん遥としてレッスンを受けています。しかし、彼のレッスンは純粋に音楽に向けられています。ルシアのピアノがルシアだけのものであるならば、遥と認識されていたとしてもルシアの存在が認められているということになるのでしょう。実際には、岬洋介はルシアの真実に気付きますが。加えて、彼自身の環境が大やけどを負ったルシアの現在の状況と似ていることもあります。

 岬洋介に信頼を寄せることは、結末での彼女の行動を決める要因にもなっています。全てを打ち明け、罪を告白し、罰を受けることを決めたのは彼の存在が大きい。ピアノはルシアの存在の全てと言えます。ルシアはピアノによってのみ存在を肯定されます。彼女のピアノが人を惹きつけるのは、ルシア自身の存在を表現し伝えているからかもしれません。

 彼女の復活劇は、学校代表⇒コンクール⇒優勝です。予想通りに展開であり、出来過ぎ感はあります。岬洋介の存在がその結果を予想させてしまいます。ただ、コンクール優勝は過程に過ぎません。その後の行動に行きつくために必要な要素です。

 彼女の復活劇は青春ドラマのようでミステリーを忘れてしまう時もあります。声を失い、同級生のいじめに遭い、世間やマスコミに晒され、追い詰められていきます。本来なら家族が支えになるはずですが、遥の家族はいてもルシアの家族はいません。唯一、岬洋介だけがルシアにとって頼るべき存在です。何故なら、彼はピアノを通して彼女を見ているからです。

 結果として、彼女は現状を克服しました。結末は幸せだったのかどうかは分かりません。少なくとも、彼女にとっては満足の行く決断だったのでしょう。後悔は多くあるはずですが。 

理のある設定も

 発端は、火事による大やけどで人物特定が服装と倒れていた位置だけだったことです。果たして、元通りに整形できるものなのでしょうか。医療の詳しい知識はありませんが、ルシアの火傷は皮膚の表面だけではありません。しかも、ほぼ全身を皮膚移植されています。身体の肌は継ぎ接ぎのようですが、顔は写真の通りに元通りに整形されています。新条医師は、まるでブラックジャックです。しかも、数カ月後でピアノコンクールに出るほど運動機能も回復しています。歩いたり指を動かすだけでも、年単位のリハビリが必要に感じます。そもそも回復するのかどうかも怪しいのではないでしょうか。物語の進行を焦り過ぎたのでしょうか。 

あまりに非現実的に感じてしまいます。

 ピアニスト岬洋介の才能についても不自然さがあります。彼のピアノは世界的レベルように描写されています。一方、知る人ぞ知るという表現もされています。後者であれば、演奏描写や聴衆の反応が過大過ぎないでしょうか。岬洋介のピアノ界での立ち位置と才能が一致しません。

 彼の経歴も都合がいい。司法試験合格から司法修習生を経てピアニストに。司法に関して並々ならぬ知識を有していることの説明になりますが、知識と能力は別物です。遥の母親の死を殺人と判断し犯人の推理をします。

 法律の知識と実際的な捜査は違います。経験とそれに裏打ちされた勘があってこそ、捜査は有効に進むはずです。それなのに、榊間と対等に渡り合う姿には違和感があります。榊間はベテランで有能な刑事です。加えて、警察は証拠や捜査で知り得た事実を多く持っています。素人の推理と情報収集で太刀打ちできると思えません。岬洋介は、ルシアが命を狙われている理由も分かっています。対処方法も的確で、現実に狙われなくなります。岬洋介の活躍が目立ち過ぎ、能力は全て過大に評価されています。彼が物語のキーマンだから仕方ありませんが。 

終わりに 

 ミステリーというよりは、ルシアの人生、彼女の生きる努力を描いています。不幸のどん底から這い上がる姿とピアノの演奏に引き込まれていきます。ピアノを中心に描かれていて、ミステリーにピアノがあまり絡んでこないのが残念なところです。ピアノが伏線となっている部分もありますが、全てではなく決定的でもありません。

 ミステリーを期待して読むよりは、音楽小説、青春小説として読んだ方がいい。ミステリーに期待し過ぎると肩透かしを感じます。しかし、読み応えはあります。全体的な印象は良かった。