晴耕雨読で生きる

本を読み、感想や書評を綴るブログです。主に小説。

ーおすすめ記事ー
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト

『戦場のコックたち』:深緑 野分【感想】|生き残ったら、明日は何が食べたい?

f:id:dokusho-suki:20220417161240j:plain

ご覧いただきありがとうございます。今回は、深緑 野分さんの「戦場のコックたち」の読書感想です。

2016年本屋大賞7位で、第154回直木賞候補にもなっています。
物語の舞台は、第二次世界大戦のヨーロッパです。ノルマンディー上陸作戦からドイツ降伏に至るまでを、アメリカ軍のコック兵「ティム」の視点で描いています。日本人は登場しないし、日本という言葉もほとんど出てきません。ドイツの同盟国として少し語られる程度です。
ティムは17歳の青年です。まだまだ世間を知らない年齢です。そんな若者が死が隣り合わせの戦場へ送り込まれます。コックという立場から戦場を見ることで、どんな景色が見えてくるのでしょうか。
五つの短編とプロローグ、エピローグで構成されています。それぞれの短編で謎解きがありますが、それ以上に戦争の悲惨さと戦場で変わっていくティムが印象的です。ミステリーでありながら戦争ものです。そのことが読み応えを生みます。

「戦場のコックたち」のあらすじ

合衆国陸軍の特技兵、19歳のティムはノルマンディー降下作戦で初陣を果たす。軍隊では軽んじられがちなコックの仕事は、戦闘に参加しながら炊事をこなすというハードなものだった。個性豊かな仲間たちと支え合いながら、ティムは戦地で見つけたささやかな謎を解き明かすことを心の慰めとするが。【引用:「BOOK」データベース】

 

「戦場のコックたち」の感想

ック兵から見た戦争

戦争を描く時、誰の視点なのかは重要です。最前線で戦う兵士ならば、日常に死が転がる世界に身を投じて戦争を見ます。戦争の悲惨さを読者に強く訴えるでしょう。

戦争を指揮する立場(戦場に出ない指揮官たち)の幹部たちが視点の場合はどうでしょうか。戦場の悲惨さを直接的に伝えてきませんが、彼らの判断が戦況を動かしていく怖さを感じます。彼らの判断ミスで多くの兵士が死ぬのですから。

ティムはコック兵なので、戦場をコックの視点から描くのだと思っていました。確かにコックの視点も取り入れています。しかし、ティムたちは最前線で戦う戦闘員でもあります。ティムを含むコック兵たちは空挺部隊の一員として戦場に降下し、激しい戦闘を行っています。

軍隊のコックは調理をするだけが仕事ではないということです。他の兵士と同じように戦闘にも参加し、戦闘が終わればコックとしての仕事が待っています。部隊の食事を作り、また食材の管理もしなければなりません。コック兵は休む暇がないのではないかと思ってしまいます。

戦争の悲惨さは、ティムたちの戦闘によって描かれます。一方、部隊を維持し、戦闘を継続するために重要なのが食料です。食料もただ食べられて栄養が取れればいいというものではありません。食事は生きる張り合いのひとつです。死と背中合わせだからこそ食事は重要です。

コックたちはそのことを理解しているのでしょう。だから、どんな食事を作るのか真剣に考えて調理します。材料の確保に頭を悩ませます。戦争において兵站は重要であり、食料も含まれます。コックたちは、戦場や部隊の状況を他の兵士より理解しているのでしょう。

話は変わりますが、太平洋戦争で日本が敗れた要因は多々あるでしょう。そのひとつに兵站が機能していなかったことがあります。戦線が延びすぎて最前線まで物資が届きません。食料を現地調達しろという命令もあったようです。戦争を勝ち負けだけで評価するのは危険ですが、戦闘でなく餓死した兵士が多かったのは軍部の判断の甘さでしょう。

 

えない差別

アメリカを含む連合国はドイツの侵略に対して戦いました。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の壊滅も目的です。圧倒的なカリスマを持つ指導者のヒトラーを倒せば、自然と解体される目算があったのでしょう。

ナチスドイツがポーランドに侵攻したことが、第二次世界大戦のきっかけです。しかし、連合国がナチスを殲滅しようとしたのは、自由主義国家と人種差別主義・全体主義国家の戦いも含まれています。当時のソ連の思惑は別だと思いますが。

ナチスはアーリア人種至上主義で、その中でも健康で優秀な人物だけが認められていました。反ユダヤは、アーリア至上主義のひとつの結論でしょう。背景は複雑だと思いますが。連合国は自由主義のために戦うという意識もあったはずです。ナチスの極端な差別を認められないのは当然です。

では、連合国の一員であるアメリカに差別がなかったのかというと決してそうではありません。肌の色で差別があり、人種によっても差別が存在します。ナチスドイツのように国家の政策ではありません。しかし、人の心から生じた差別の意識を消し去るのは難しい。差別と認識していないならなおさらです。

ティムの部隊にも差別があります。まず、重要な役職に就いている黒人はいません。黒人が白人に都合よく使われている場面も登場します。同じ部隊で同じように命をかけて戦っているにもかかわらず、肌の色や人種の違いから逃れられません。アメリカの表向きの態度には欺瞞があるのでしょう。

ティムはそのことに疑問を抱いていたはずです。主人公の彼がコックである理由は、アメリカの差別を描くためでしょう。コックは食事を作るのが仕事です。相手が誰であろうと目的は変わらないし、相手によって料理の中身を変えることもありません。コックの仕事には差別はないのです。
一方、コックは他の戦闘員から一段下に見られています。差別はしないが、差別を受ける立場にあるのです。どれだけ戦闘で成果を出しても正当に評価されません。差別に強弱はありますが、あるかないかで問われればアメリカにも確実に存在します。

アメリカや連合国がドイツと戦うのは正義のためです。ただ、正義を行う者が完全な正義を持っているとは限りません。ティムの視点を通じて描かれるのは、アメリカの矛盾かもしれません。

 

可解な出来事

ティムの周りでは不可解な出来事が起こります。いわゆる謎です。それらをエドが中心となり解決します。

パラシュートを大量に集めている機関銃兵のライナス。消えた粉末卵600箱。雪原を彷徨う幽霊兵士の正体。謎を解くためには、事象の背景を探らなければなりません。その背景に説得力があるかどうかも重要です。

各章の事件の謎は、その章で解決します。しかし、本当の謎は、最初の頃から潜んでいます。ダンヒルです。彼の秘密が分かってしまえば今までの伏線に気付きます。物語がどのようにして結末を迎えるのか全く予想がつきません。

エドが死に、ティムたちは自分たちで判断していかなければならなくなります。自分が何をしなければならないかで苦悩します。決断をするのは勇気が必要です。そして、ティムたちは決断します。

ティムたちは危険な行動に出ます。軍隊に属している者としては、あり得ない行動です。しかし、彼らがそれを選択したのは、兵士ではなく人間としての判断からでしょう。死と隣り合わせの世界で戦ってきたからこそできた選択だったのかもしれません。

 

争が心を蝕む

戦争がもたらす悲劇は、死だけではありません。生き残った者の心にも大きな傷跡を残します。傷跡は一生消えません。また、戦争中には気付かずにいることも多いのかもしれません。

ティムはごく普通の青年です。どちらかというと優しく気が弱い方でしょう。そんな人間であっても、兵士になり戦場に行けば、人を殺すことになります。どれだけ人の心を思いやることができる人間だったとしても、命令であれば敵を殺さなければなりません。

ティムも戦場を駆け回り、ドイツ兵と戦うことで彼の心を変質させていきます。変わらなければ、重荷に耐えきれないのでしょう。投降してくるドイツ兵を撃ち殺すなどということは、軍隊に入る前のティムでは考えられないことです。ドイツ兵を憎む気持ちを抱いています。命令で殺したというよりは、自分自身の感情で殺してしまったのでしょう。

ティムは戦場に行く前のティムに戻ることはできません。戦場とはそれくらい人を変えてしまいます。物語が進むにつれ、ティムが変わっていく様子が戦争の恐ろしさを伝えます。ただ、ティムは蝕まれた心を全て受け入れて戦場を離れていったような気もします。

 

終わりに

単なるミステリー作品ではありません。現実の戦争を舞台にして、参考文献の数も驚くほどです。著者は戦争を否定するために書いたのだと思います。
ミステリーの謎解きは面白い。しかし、背景にあるのは、戦場の悲惨さや理不尽さです。謎を解くたびに戦場の真実が現れます。

エピローグで描かれるのは、戦場を生き抜いた喜びではありません。戦争によって歪められ、ねじ曲げられた人生です。再会を喜びながらも、手放しで喜べない空気感を感じ取ってしまいます。

最後までご覧いただきありがとうございました。