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『鹿の王』:上橋 菜穂子【感想】|命をつなげ

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 こんにちは。本日は、上橋 菜穂子氏の「鹿の王」の感想です。

 

 2015年本屋大賞を受賞したファンタジー小説です。かなりの長編作品ですが、一気に読みきってしまうほど引き込まれます。架空の世界を舞台にしたファンタジーですが、国家と個人・支配と従属といった大きな力に個人が翻弄されていく姿は現実世界にも存在します。また、人々が生きる意味に苦悩する弱さや自身を貫く強さに揺れ動く様子は、人の本質を表しているのだろう。

 主人公は二人です。故郷を守るために飛鹿(ピユイカ)を操り戦った独角の頭「ヴァン」とオタワルの医術師「ホッサル」です。二人の物語が平行して進み、やがてひとつになります。

 本作は、第4回日本医療小説大賞も受賞しています。医療が重要な要素であり、登場人物たちが立ち向かうもののひとつとして描かれています。ホッサルたちの医術は、西洋医学に通じるものがあります。その描き方は確かな知識をベースに描かれています。だからこそ、医療小説としても高く評価されたのだろう。  

「鹿の王」の内容

強大な帝国・東乎瑠にのまれていく故郷を守るため、絶望的な戦いを繰り広げた戦士団“独角”。その頭であったヴァンは奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。ある夜、一群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。その隙に逃げ出したヴァンは幼子を拾い、ユナと名付け、育てるが―!?【引用:「BOOK」データベース】

  

「鹿の王」の感想 

家と支配

 東乎瑠(ツオル)帝国が征服したアカファ王国を中心に物語は進みます。しかし、物語は二国間だけの関係を描いている訳ではありません。アカファ王国は辺境の少数部族をそれぞれの自治をある程度認めたところで緩やかに支配していました。多くの少数部族を抱える国を安定させるための手法です。

 東乎瑠に征服されることは、それらの少数部族も征服されることになります。表面上は二国間に見えますが、アカファ王国に及ぼす影響は大きい。一方、東乎瑠のやり方は支配という言葉が相応しい。アカファの隅々まで管理していることからも分かります。アカファ王の立場を残したのも、アカファの自治を認めるのではなく、その方が政治的にやり易いからです。

 東乎瑠の選帝候「王幡候」が領主となりアカファを支配しています。権限が与えられているとしても中央集権体制です。東乎瑠は強大な力で版図を広げています。支配された人々は東乎瑠のやり方に従わなければならない。不満があれば戦うか、不満を飲み込み新しい生き方を選ぶしかありません。

 東乎瑠はアカファだけを支配している訳ではありません。多くの国を支配下に置き、国家を支配する手法として国民に移住をさせています。支配した場所を東乎瑠に同化させる手法だろう。移住させられた者も、東乎瑠の支配下にいることを思い知らされます。

 古オタワル王国の生き残りが作ったオタワル聖領も、専門的な知識を武器に東乎瑠に入り込み自治を勝ち取っているに過ぎません。不安定な立場であることは変わりない。その不安定さが危機感になります。

 支配者は国家を理想的な形にするために様々な政策を考えます。それは国家のためであり、人々のためでないことが多々あります。征服者と支配されるものの溝は埋まることはないだろう。武力で勝ち取った支配ならばなおさらです。 

 

弄される人生

 予期せぬことに人生を動かされることは起こり得ます。そういう時に立ち向かうかどうかで人生は変わっていくのだろう。登場人物たちは大きな力に翻弄されています。

 ヴァンは妻と息子を亡くし、独角の頭として戦います。表面上は氏族のためですが、死ぬ場所を求めて戦い続けます。ヴァンの人生は抵抗でなく、惰性で続く生だったのかもしれません。

 ヴァンはアカファ岩塩鉱で山犬(オッサム)に襲われながらも生き残ります。同じく生き残ったユナと逃亡した時に、ヴァンの人生は変わり始めたのだろう。逃亡中にトマと出会ったことも、ヴァンの人生を変えることになります。人生は何をきっかけに変わるか分かりません。また、何をきっかけに自発的に変わろうと思い始めるかも分かりません。

 山犬に噛まれたことに加え、逃亡奴隷という立場は常に不安を抱かせただろう。しかし、穏やかな日々がヴァンに生きる喜びを感じさせます。続くことを望む生活だからこそ、失うかもしれない恐れを持っていたかもしれませんが。平穏な日々の中、再び山犬が現れます。その時に、ヴァンは自身がふたつに分かれるのを感じます。戻ることのできない何かが自身を侵していることを悟ります。

 ヴァンの人生は翻弄され続けますが、自身の力で切り開こうとする意思が生まれ始めているように感じます。もちろん、それまでも人生を切り開いてきた。しかし、ユナとの出会いが、ヴァンの中の何かを決定的に変えたのだろう。常にユナがヴァンの心の中にいます。

 ヴァンの変化は違う部分でも表れてきます。山犬に噛まれたことによる変化です。山犬の背後には大きな陰謀があります。ヴァンは巻き込まれ、大きな流れの中の重要な存在にさせられてしまいます。ヴァンの人生は常に翻弄されますが、ユナがいることで生きる意味を持つことができたのだろう。生きる意味は人生を切り開く力になります。 

 

と医術

 黒狼熱と呼ばれる伝染病が物語の中心に存在します。かつてオタワル王国を滅ぼした恐ろしい病です。オタワル人のホッサルが黒狼熱の可能性に気付きます。医術師のホッサルには伝染病の恐ろしさが良く分かるのだろう。

 黒狼熱となれば防ぐ手段は持ち合わせていません。黒狼熱を調べ、正体を暴き、治療や予防の対策を見つけ出すのは困難な道のりであり、しかも手探りの状態です。それでも黒狼熱にかかった人間の死体や状況から、できうる限りの行動を起こします。人の命を救うことを第一に考えている真摯な心です。登場人物の中では若いが内面は強い。行動力もあります。ホッサルにとって命を救うことよりも優先するものはないと考えているように見えます。助かる可能性のあることならどんな手法も厭わないのだろう。

 東乎瑠に入り込んでいるオタワル医術ですが、一方で東乎瑠独自の医術もあります。清心教医術です。医術師は祭司医と呼ばれ、オタワル医術と立ち位置が違うことは名前からも分かります。

 病気を治すことを目的にしているのは同じです。ただ、治す術がない病に対する姿勢が違います。ホッサルは治す術がないなら、その方法を全力で探し求めます。命を救うことが医術の目的だと信じて疑いません。清心教医術は肉体的な命とともに精神に対しても命を見ています。むしろ肉体よりも精神を重んじています。命が救えない時は、精神的な安寧をもって看取ります。

 また、心安らかな死は、残された家族のためでもあります。清心教医術は命でなく人間を救うのだろう。マコウカンはそのように感じていますし、清心教医術に救われた遺族もいます。

 ホッサルたちオタワルの医術師は清心教医術を認めていません。治療を諦めることは、命を見捨てることになるのだろう。どちらの医術が病に対する態度として正しいかは分かりません。 

 

り巡らされた陰謀

 黒狼熱の背景に潜む陰謀は複雑に絡み合います。山犬の群れの動きを見れば、自然発生的に黒狼熱が感染を始めたとは考えられません。山犬たちを操る何者かがいることは予想できます。しかし、感染病を蔓延させることで何を成そうとしているかはなかなか分かりません。

 ヴァンとユナの身体の変化の理由も見えてこない。黒狼熱が広がることで誰が利益を得るのか。誰を標的にしているのか。それが見えれば黒幕は分かるのかもしれないが、動機も必要になります。東乎瑠、アカファ、オタワル、辺境の氏族、移住民。国と民族が絡み合い、どのような状況に陥っているのか。過去に何があったのか。全てを繋がないと結末は見えてこない。

 終盤、物語は一気に進んでいきます。二転三転する展開は意表を突かれながらも、納得できます。関わる人々の人生や思いが伝わってくるからだろう。 

 

終わりに

 かなりの長編ですが、読み進めるほどに引き込まれます。冒頭から謎が生まれ、二人の主人公の行き先がどこなのか予想できません。ヴァンとホッサル以外の登場人物も個性豊かですし、彼らの人生もしっかり描かれています。架空の世界でありながら、実際に存在するかのような世界観が一番の魅力なのだろう。