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『遠まわりする雛』:米澤穂信【感想 前半】|奉太郎たちの一年間の軌跡

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 こんにちは。本日は、米澤穂信氏の「遠まわりする雛」の感想です。

 

 古典部シリーズの四作目。シリーズ初の短編集です。神山高校入学後、奉太郎たちの一年間を短編で綴ります。「氷菓」「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」は文化祭(通称カンヤ祭)に繋がる一連の物語です。本作は、三つの物語の狭間とその後の物語です。

 奉太郎たちの日常を切り取って描いていますが、もちろんミステリーの要素も含んでいます。高校生の一年間は濃密です。季節ごとのイベントを中心にして、彼らの内面と周りとの関係性を描いています。夏の怪談・初詣・バレンタイン・雛祭りなど誰もが経験している年中行事を中心にしているので共感しやすい。少し特殊な面もありますが、それも含めて面白い。

 時系列に沿って組み立てられた七話には「氷菓」「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」のエピソードも登場するので、前三作を読んでいないと分かりにくい部分もあります。シリーズ物だから仕方ありませんが。

 各短編ごとに事件が起き、奉太郎が解決していく形は変わりません。短編なのでミステリーとしては単純で分かりやすい。一方、物足りなさも感じますが、奉太郎たちの日常を見ることができます。中学生の頃から続く関係性も描かれます。前三作がひとつのまとまりなら、本作は古典部シリーズの新しい展開への序章なのでしょう。

  感想は各短編ごとです。七話を三作と四作に分けて書きます。

「遠まわりする雛」の内容

省エネをモットーとする折木奉太郎は“古典部”部員・千反田えるの頼みで、地元の祭事「生き雛まつり」へ参加する。十二単をまとった「生き雛」が町を練り歩くという祭りだが、連絡の手違いで開催が危ぶまれる事態に。千反田の機転で祭事は無事に執り行われたが、その「手違い」が気になる彼女は奉太郎とともに真相を推理する―。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「遠まわりする雛」の感想 

るべきことなら手短に

 奉太郎のモットーの後半部分が表題です。福部里志と伊原摩耶花とは中学生以前からの付き合いです。里志のことはそれなりに知っています。摩耶花との付き合いは薄かったが、小学校一年生からずっと同じクラスなのでそれなりに知っています。なので、奉太郎は彼らの行動や言葉を何となく予測できます。 

 入学後一か月の時期なので、高校で知り合った千反田えるのことはまだまだ分かりません。奉太郎にとって千反田は扱いにくい存在なのでしょう。もちろん一か月なのでよく見えていない部分が多いこともあります。しかし、一定の評価を下しています。

好奇心が強く、人を巻き込む。

 奉太郎の主義からすると面倒くさいと言えるし、実際そう思っているフシもあります。 

 千反田が気になることは学校の怪談です。まさしく里志が話していたことです。千反田の好奇心をまともに受ければ手間と時間がかかります。とっさに千反田をやりすごすために策を弄します。その策が千反田の興味を逸らすことです。奉太郎自身が組み立てたストーリーで答えを用意できるものにです。里志を巻き込み、機転を利かせ、目論見通りに事が運ぶ。千反田を完全に拒絶することなく方向を変えます。結果的に姑息な手段に頼ってしまいます。 

  • 千反田を面倒くさいと評価してしまったこと
  • 千反田を嘘で誘導したこと

  奉太郎のモットーからすれば、単に断ればいいだけの話でした。千反田が嘘を信じれば、自己嫌悪に陥るのは当然です。そこまで見通せなかった奉太郎は、人の心を理解できていません。これがきっかけで理解しようとするでしょうか。

 

罪を犯す

 中心はやはり千反田ですが、里志と摩耶花の喧嘩が発端です。喧嘩といっても摩耶花が一方的に怒っているのですが。

 怒りから7つの大罪へと話が繋がります。関係ないですが、七つの大罪で思い出すのはブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの「セブン」です。25年前の映画ですが、今でも強烈に印象に残っています。七つの大罪は、傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・色欲・大食です。

 怒りは七つの大罪のひとつです。千反田には縁遠い言葉に感じますが、実際に彼女は怒りを発生させた。その理由を探ります。数学教師 尾道の態度が千反田の怒った理由なのか。授業の流れが理不尽な方向へと進んでいくことに対して怒ったのだろうか。千反田が気になれば、奉太郎は巻き込まれます。

 怒り自体が罪ならば、理由は関係なく千反田は罪を犯したことになります。少なくとも千反田は理由がはっきりしないと納得できません。

  • 怒ったことが正当だったのかどうか
  • 怒る必要があったのかどうか

 まずは尾道の理不尽な怒りを知る必要があります。奉太郎の推理能力が早くも発揮されていきます。奉太郎が千反田を断らなくなったのは、「女郎蜘蛛の会」の件があったからかもしれません。それとも労力を使わずに推理できると見込んだか。千反田の「気になります」「やるべきことに」に分類されたのでしょう。一種の諦めかもしれませんが。

 奉太郎の解は納得できますが、尾道ももっと早く気付いてよさそうな気もします。千反田の怒りを探ることで、結末の「怠惰」に繋げようとしたのでしょう。「怠惰」が許される人生の時期は少ない。罪は人の欲求ですが、見方によっては人の行動の原動力であり必要なものではないでしょうか。だからなくならない。

 奉太郎の「やるべきことなら手短に」に分類されればやることになります。線引き次第では怠惰になる可能性もありますが。 

 

体見たり

 「氷菓」事件解決の後、千反田の発案で摩耶花の親戚が営む温泉旅館へ行きます。夏休みの夜の怪談話はお決まりのイベントです。それが実際に起こるというのもミステリーの定番です。

 旅館やホテルの部屋で自殺が起こることは、客商売である宿にとって致命的です。その部屋に幽霊が出るという噂が出ればなおさらです。無責任な噂は拡がるのが早い。幽霊を信じるかどうかの問題もありますが、実際に出ることなど考えにくい。

 しかし、千反田と摩耶花の二人が自殺のあった部屋で首吊りの人影を見ます。一人だけなら見間違いで済む話ですが、二人ならば現実的な理由が必要になります。幽霊でないとすればですが。奉太郎が現象を解明していきます。千反田が絡んでいるから動いたのかもしれません。

 本短編のテーマは兄弟・姉妹の関係の在り方についてです。事件も梨絵と嘉代の関係性から生まれます。千反田は一人っ子なので兄弟や姉妹に憧れています。千反田が抱く兄弟姉妹のイメージは理想的だが現実感はありません。彼女自身の性格や考え方をベースにイメージするからでしょう。善名姉妹や奉太郎姉弟が現実の姿でしょうし、決して悪い関係ではありません。悪い関係はお互いを無視することです。

 事件の真相は善名姉妹の関係に発端があります。千反田は一人っ子だから理想を抱きます。一緒に暮らし続ければ親との関係性も含め、そう簡単ではありません。それでも自身の抱く姉妹像と違うことが寂しかったのでしょう。

 

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