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『心淋し川』:西條 奈加【感想】|誰の心にも淀みはある。

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 こんにちは。本日は、西條 奈加さんの「心淋し川」の感想です。 

 

 第164回直木賞受賞作。六つの短編から成る連作短編集です。

 貧乏長屋が立ち並ぶ千駄木町の一角が舞台です。心町(うらまち)と呼ばれ、そこにある心淋し川(うらさびしがわ)は流れが滞り、淀んでしまっています。心町に暮らす人々を象徴するのが心淋し川です。

 江戸時代であれば、生まれた時から身分が決まっています。自由に生きることは難しい。また、一度、転落すると這い上がることも難しいだろう。心町にいる人々は、貧乏の中で生きていかなければなりません。

 それでも淀んだ人生を何とか変えようとするのが人間です。変えようと願いながらも、現状でいることを望む一面もあります。人間は複雑です。そんな人々の心の機微や情を六つの短編で描いています。必ずしも幸せな結末ばかりでありませんが、その分、真実味があります。

 人間の本質は変わりません。時代小説ですが、感情移入を妨げられることはありません。読みやすい文章も影響しているだろう。 

「心淋し川」の内容

不美人な妾ばかりを囲う六兵衛。その一人、先行きに不安を覚えていたりきは、六兵衛が持ち込んだ張形に、悪戯心から小刀で仏像を彫りだして…(「閨仏」)。

飯屋を営む与吾蔵は、根津権現で小さな女の子の唄を耳にする。それは、かつて手酷く捨てた女が口にしていた珍しい唄だった。もしや己の子ではと声をかけるが―(「はじめましょ」)他、全六編。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「心淋し川」の感想

れることと淀むこと

 表題作「心淋し川」から始まります。19歳のちほが主人公です。心淋し川の淀みを嫌悪し、自分たちの生活も同じように淀んでいると感じています。杭に引っ掛かる赤い布の切れ端は自分を表しているのだろう。杭から外れるために、布自身は何もできない。ただ、待つしかありません。

 しかし、ちほは何とかして心町を出ようとします。仕立屋の志野屋に出入りすることで、一時的に心町を離れることができます。そして同じように出入りしている上絵師の元吉に惹かれていく。理由はもちろん彼に好意を抱いているからですが、彼が心町から連れ出してくれる存在になるからかもしれないからです。赤い布は自ら流れていくことはできませんが、誰かの手を借りれば流れることができます。淀んだ川と言えども、流れがない訳ではありません。

 「心寂し川」では、淀みは好ましくないものとして描かれています。一方、淀むことを望む者もいます。「冬虫夏草」の吉がその例です。彼女の人生は淀むことなく進んできました。しかし、その流れは必ずしも望んだ方向に流れません。川の流れと同様に人生の流れを思い通りにすることはできません。もちろん、努力することが無駄とは言えませんが。そんな彼女が息子(富士乃助)だけを残し全てを失います。しかし、女にとって富士乃助だけが人生の全てになったのだろう。富士乃助との生活を淀ませることで幸せを感じます。

 川の流れを人生の流れに例えれば、淀みは望ましくありません。淀むことは水を汚していく。しかし、流れる綺麗さだけを望む人ばかりではないのが人です。他の四つの短編も、淀みの中で生きています。淀みから抜け出したい者。留まる者。様々です。それが望んでのことなのかどうか。割りきったことなのか。人の数だけ状況は違うのだろう。  

去に囚われる

 淀みは状況の停滞だけでなく、時間の流れを止めることも意味します。止まった時間がいつなのかは、人によって違います。ただ、一度止めてしまえば、過去に囚われ続けることになります。心町に住み続けることが淀んでいる訳ではありません。「心淋し川」のちほは、心町自体が淀んでいると感じているようですが。

 「閨仏」のりきは、心町で生きていくことを選びます。「はじめましょ」の与吾蔵は、心町での生活にやりがいを感じています。りきの停滞は、六兵衛に囲われていた期間だったのだろう。自身の意思に反している訳ではありませんが、自身の意思で現状を生きていません。いつか追い出されるかもしれないという不安があっても、自分から行動することもない。日々、停滞の中を生きています。

 そんなりきの流れが動いたのが仏を彫ることです。何気ないきっかけですが、何が理由で人生が変わるか分かりません。六兵衛が死んでも、りきは他の三人の妾と長屋に残ることを選びます。同じ暮らしぶりが続きますが、そこには時間の流れが生まれています。過去ではなく、未来を見ながら生きています。

 与吾蔵の停滞の理由は心町のせいではありません。四文屋を営む毎日は楽しさもあります。しかし、ある日出会った少女「ゆか」が与吾蔵を過去に引きずり戻します。過去に手酷く捨てた「るい」のことを思い出します。過去を変えることはできません。後悔は、人を過去に縛り付けます。しかし、過去を受け止め、新しくやり直すことはできます。るいを探し出すことで、二人の時間は動き出すのだろう。

 過去は変えることはできませんが、未来は自分自身で決めていくことができます。りきも与吾蔵も未来に向けて生きていきます。  

 

配の茂十

 各短編を通じて登場するのが、差配の茂十です。何かと世話をやく人情味のある人物です。しかし、最終話「灰の男」で茂十の過去が描かれると印象は全く変わります。

 心町に来た理由は復讐の一言に尽きます。茂十の息子が殺され、家族が崩壊し、全てを失います。茂十が息子を殺した犯人を見つけた時、相手は全てを忘れていました。貧乏の極みで呆けてしまっています。哀れさしかありません。そんな中で命を奪うことに意味があるのだろうかと悩んだだろう。過去の罪を思い出させて仇を討たなければ意味がありません。そうして10年以上も心町で暮らす内に、茂十も変わっていったのだろう。どれだけ過去に縛られていても変わらずにはいられません。人と関わることで、影響を受けます。淀みの中にいても変わるものはあるのだろう。

 茂十は復讐を果たさないことを選びます。心町で他人と繋がりながら生きてきたことで、茂十は変わった。茂十の心境の変化を理解するのではなく、感じることができるかどうかです。 

 

終わりに

 短編集なので読みやすい。差配の茂十が全ての短編を最終話でまとめあげるので、読み応えもあります。時代小説ですが、難しい言葉も使っていないので分かりやすい。それでいて人の心情を深く描いています。最終話まで読まないと、本作の本質は分からないかもしれません。