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『疑う力』:堀江貴文【感想】|「常識」の99%はウソである

 堀江貴文らしいインパクトのあるタイトルです。「常識の99%はウソである」という言葉は意味が深い。100%嘘なら信じなければいいだけですが、1%でも真実が含まれているなら見極める力が必要になります。すなわち「疑う力」を養わなければなりません。 

 一冊の本にまとめるのだから、全ての常識を取り上げることはできません。著者が特に嘘だと感じていることを選んでいるのでしょう。当然、各項目は嘘という結論になります。著者にとって都合の良いテーマを選んでいる印象も受けますが、納得する部分は多い。常識が常識でないことの証拠です。

 嘘を見抜くために重要なことは、多面的に見ることと情報を得ることです。どちらも能動的に行わなければならず、与えられるだけでは操作されます。 

 著者は、基本的に旧体制に批判的です。旧体制とは変化を嫌う既得権益者のことです。個人の生き方を重視するなら体制に流されてはいけないが、自由な世界は厳しい側面もあります。 「物事の本質」を見抜く者が生き残るのは、過去もそうでした。しかし、今までは本質を見抜けない者も生きてきました。これからは見抜けない者は生き残れないのでしょう。  

「疑う力」の内容

感性と直感が身につく「堀江式発想」の教科書!言ってはいけない33の提言。【引用:「BOOK」データベース】   

 

第1章 フェイクニュースに騙されるな!

 嘘というよりは現状認識について書かれています。税制やキャッシュレス、働き方改革などです。正しく現状を認識せず、過去にしがみつき幻想を抱き続けることは不味い結果を生みます。

 フェイクニュースは名前のとおり正しい情報を提供していません。一面的な情報かもしれないし、都合の良い情報かもしれません。積極的な嘘と消極的な嘘の違いがあっても真実を伝えないことに変わりはなく、多面的に伝えていないことに気付かなければならないでしょう。

 意図的なフェイクニュースとして、ゴーン氏逮捕と東京地検について書かれています。著者も過去に逮捕・収監されています。ゴーン氏逮捕の実情については個別事情なので、著者と事例と同一に扱うことはできませんが。裁判で有罪が下されるまでは確定していないにもかかわらず。逮捕=犯罪人の図式が成り立っています。推定無罪ならぬ推定有罪です。有罪率99.9%の影響でしょう。100%ではないのですが。

 犯罪捜査手法の問題点も指摘され、人質司法と言われています。カルロス・ゴーン、籠池夫妻、鈴木宗男。長期拘留を思い出すだけでも数人が頭に浮かびます。ただ、カルロス・ゴーンは保釈中に海外逃亡しているので、必ずしも長期拘留の全てが悪い訳ではないと印象付けてしまったかもしれません。保釈自体を考え直すことも必要でしょう。

 我々の意識の変革も必要です。確定判決が出るまでは推定無罪が原則です。誰でも知っていますが、逮捕=犯人の印象は拭えません。メディアの伝え方が情報操作の一端を担っているでしょう。メディアが社会正義を訴えたとしても、根本は営利のために動いています。スポンサーの存在が視聴率を意識させます。犯人として扱う方が刺激的であり、真実は置き去りになります。

正義<営利

 このことに気付かないと情報に踊らされます。フェイクではないが、間違った印象を植え付けられる危険があることを自覚する必要があります。

 

第2章 誰も言えない「不都合な真実」

 立ち位置によって都合・不都合は変わります。例えば、原発や領土問題はそれぞれに立場があり、どちらが正しいか一概に言えません。原発は必要性と危険性の両方から考える必要があります。何かで代替できるなら敢えて原発を使わなくていいでしょう。

 福島第一原発事故後、全ての原発は停止しました。停止が日本経済に与えた影響や再稼働することの危険性や代替手段の有無など検討すべきことは多い。稼働時と停止時に何が変わり何が問題になったか検証すべきです。エネルギー問題は難しい。電力は必要ですし、安定的に供給されなければなりません。世界情勢によって不安定になるようでは経済は不安定です。

 北海道胆振東部地震もエネルギー問題を考えるきっかけになります。苫東厚真火力発電所の停止が北海道全域の停電を引き起こします。泊原発が稼働していれば避けられたでしょうか。電力供給のリスクヘッジとして稼働させておけば電力を維持できたかもしれません。

 では、泊原発の直下で地震が発生すればどうなるでしょうか。原発の安全性と北海道の冬期の電力停止の危険性について考えるべきです。安全と言われた日本の原発が、福島第一原発で事故を起こしている事実を忘れてはなりません。

 北海道民の著者の意見は、北海道民の総意ではありません。彼の意見は筋が通っているし納得できます。電力を維持する重要性も理解できます。しかし、原発の再稼働の根拠はあらゆる可能性を検討し答えを出さなければなりません。著者も長期的には原発を無くすことを考えているので、現状における合理的な判断をしているのでしょう。

 ナショナリズムや右派についても立ち位置次第です。国境や国や領土に対する考え方は人によって違いますし、政治の影響もあります。領土問題は領土を手放すことで解決するでしょうか。手放した領土については解決しますが、その後はどうなるでしょうか。新たな領土問題が出てこない保証はありませんし、その都度領土を切り離していくことはできません。領土問題は国家としての覚悟も含んでいて、経済や感情だけで解決できません。国民の生命と財産を守るのが国の責務なら、国土を放棄することはできないでしょう。そもそも国家や国境という考え方が時代に即さなくなっているのかもしれませんが。

 ボーダーレスの時代が来るかどうかは、世界の貧困と差別が無くなるかどうかでしょう。世界はそれほど単純ではなく、コストパフォーマンスで全てが解決できるとは思えません。

 

第3章 信じる者はバカをみる

 常識の裏側には悪意や思い込みが潜みます。本章は、納得できる項目が多い。特に資格についてです。昨今は資格取得の必要性が喧伝されています。しかし、資格自体に価値がないことは明白であり、何ができるのかが重要です。中身の伴わない形だけの資格は無意味です。

 資格には二種類あると思います。価値のない資格と価値を保証する資格です。一概に全ての資格が不要だと言えません。医師免許は医師として最低限必要な知識と能力を持っていることを保証します。もし医師免許がなく、誰でも医師になることができれば混乱を引き起こします。

 資格や免許がなくても問題のないことがあるのも事実です。塾講師や家庭教師は資格を持っていませんが教育を行っています。何故、学校の教員だけが資格を必要とするのでしょうか。教育は受験科目を教えるだけではないという言い分があるかもしれません。しかし、塾に通う子供の存在が示すのは、学校教育が子供たちの求めるものを提供できていないことの証拠です。塾や家庭教師の方が魅力的なのでしょう。

 資格自体に価値はありません。資格試験がこれほど宣伝されているのは利権の温床だからという著者の意見は納得できます。資格の種類は数え切れませんが、本当に役立つものがあるでしょうか。資格を取っても情報や知識はアップデートし続けなければなりません。資格はある一定時点の知識の証明に過ぎません。それでも資格が増えていく理由を知れば、資格の無意味さに気付きます。

 思い込みの常識についても書いています。

  • 肉は身体に悪い。
  • 民主主義は最高。
  • 学歴は大事。

 正しい一面もあったでしょう。価値観は変わりますし、思い込みで判断する人は感覚的で感情的です。自分だけで納得しているなら問題ありませんが、他人に押し売りすることは余計なお世話です。民主主義も学歴も大事だった時代がありました。しかし、ひとつの形が永遠に最上ではありません。時代の変化に気付かなければなりません。無価値になる訳ではなく、唯一絶対ではなくなるだけであり、多様な価値観に気付く必要があります。

 

第4章 「同調圧力」なんてクソくらえ!

 本章では、納得(共感)できないものがいくつかあります。まず、結婚制度を障害と決めつけていいかどうかです。結婚制度は社会制度と強く結びついています。一夫多妻の国もあれば、日本のように一夫一婦制の国もあります。文化や風習や経済的な実情など様々な要因で結婚制度は形作られています。養える経済力のある者が養うという現実的な側面から制度を考えている場合もあるでしょう。結婚する自由と結婚しない自由は確保されなければなりませんが、どちらを選択しても構わないと思います。

 結婚は倫理的な側面もありますが現実的な側面も大きい。愛情の延長線上ではなく、現実問題の解決のためです。相続や親子関係の証明、子の養育義務など、結婚は問題を未然に防ぐ効果があります。結婚制度を不要とするなら、それに代わる制度が必要になるでしょう。将来的な問題回避の方法です。倫理と制度を混ぜて考えると、結婚を正しく認識・理解できません。不要とは言い切れない。

 ベーシックインカムは著者が頻繁に語っている事項です。社会保障制度を全てひっくるめてベーシックインカムに統一します。年金や生活保護をなくして全員に一律支給するとなれば財源を確保する必要はありますが、事務手続きの簡素化と公務員の削減が可能です。それで足りるとは思えませんが、いくつもある社会保障制度の不平等さは解消できます。

 では、働く必要性は残るでしょうか。AIの発達で多くの仕事は無くなってしまいます。残る仕事がやりたい仕事ばかりかどうかは分かりません。誰もが好きなことをして生きていくのは理想ですが、辛くて苦しい仕事が残るかもしれません。日本だけなら可能かもしれませんが世界規模で可能かどうか。ボーダーレスで国に頼らない社会が来るのならば、国にベーシックインカムを求めるのは矛盾する気もします。 

 

第5章 日本の常識は世界の非常識

 「常識の99%はウソ」ということですが、世界の常識はどうなのでしょうか。世界の常識の99%も嘘だとすれば、日本の常識と比べる意味はありません。世界の常識が真実だとすれば、日本の常識だけが嘘ばかりになってしまいます。

 「常識」自体の批判をしているのか、「日本の常識」の批判をしているのか。どちらなのかによって話が全く変わります。読んだ印象では「日本の常識」が嘘ばかりということでしょう。そうでないと世界と比べる必要はありません。

 パクリ根性が経済を回すという意見は納得しがたい。もちろん共有することで人類の発展に資する知識や情報があることも事実です。しかし、全てがそうとは限りません。何十年の期間を費やし、何十億とつぎ込んで開発した技術をオープンにすることで費用を回収できなければ率先して開発に乗り出す企業があるのでしょうか。

 特許の仕組みは独占ではなく使用料です。企業が開発に関わる以上、利益が必要です。パクり放題では許されません。守るべき技術と公開すべき技術を区別する必要があります。少なくとも開発者は守られなければなりません。

 

終わりに

 共感と疑問が半々くらいでしょうか。「常識の99%がウソ」の理由は、物事の見方が多面的になったからです。今までは一面しか見ていなかったし、見ないように操作されていました。違う側面から見ると同じ事柄でも真実でなくなるということです。

 ネットの普及により情報が溢れ、誰でも必要な情報を手に入れることができます。一方、情報を操作することは難しくなり、常識を作りにくくなります。

 読む価値のある本ですが、全てを鵜呑みにしてしまうと都合の悪いことも出てきます。著者も、本書の内容を無条件に受け入れるのではなく、自身で疑問に思うことが大事だと言っています。確かにそうでしょう。