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『わたし、定時で帰ります。』:朱野 帰子【感想】|いつまで残業するつもり?

ご覧いただきありがとうございます。今回は、朱野 帰子さんの「わたし、定時で帰ります。」の読書感想です。

働き方改革は、どのくらい進んだのでしょうか。ワークライフバランスという言葉もよく聞きます。これらの言葉が無くならないのは、まだまだ達成されていないからです。当たり前になれば、話題に上がることもなくなるでしょう。

本作は定時に帰ることに焦点を当てながらも、本質は働き方を主題にしています。仕事に対する考え方、会社や同僚との関係も含まれます。働くということは仕事をすることだけでなく、多くの事柄が複雑に絡まり合います。会社は人の集まりだから、人間関係が最も大変かもしれません。

主人公「東山結衣」は定時で帰ることを主義にしています。しかし、働くことに対する意識が違う者にとっては理解できず、不満の原因にもなります。定時に帰ることは悪いことではありません。むしろ奨励していくことです。しかし、定時で帰ることは人間関係にも影響します。

職業小説であり、ヒューマンドラマであり、エンターテイメント作品でもあります。 

「わたし、定時で帰ります。」の内容

絶対に定時で帰ると心に決めている会社員の東山結衣。非難されることもあるが、彼女にはどうしても残業したくない理由があった。仕事中毒の元婚約者、風邪をひいても休まない同僚、すぐに辞めると言い出す新人…。様々な社員と格闘しながら自分を貫く彼女だが、無茶な仕事を振って部下を潰すと噂のブラック上司が現れて!?【引用:「BOOK」データベース】 

 

「わたし、定時で帰ります。」の感想 

事に対する意識

仕事がどのような位置付けなのかは人によって様々ですが、第一の目的はお金を稼ぐことです。でなければ、生きていけません。人によって違うことのひとつは、仕事とプライベートのどちらに重きを置くかです。生活を送る上で最も重視するのが仕事であれば、時間も含めた他のことは犠牲にできます。しかし、それが長時間労働に繋がることもあります。

仕事が楽しくて仕方ない人は、時間も労力も費やすのは幸せなことだと主張するでしょう。しかし、人生は様々な経験をすることができます。仕事だけが生き甲斐というのは間違っているかもしれません。

一方、プライベートに重きを置きすぎて、仕事を真剣にしないのも問題です。責任を持って仕事をするのは、社会人として当然です。大事なのはどちらも重要だということです。どちらかを犠牲にして成り立つのであれば、人生は不幸なのでしょう。

仕事は辛いことも多い。好きなことを仕事にしていたとしてもです。お金を稼ぐとはそういものです。しかし、辛いものだと諦め、他のことを犠牲にするのが当然だと思い始めると生きること自体が辛くなります。

たとえ定時に帰るとしても、人生の大半は仕事に費やされます。定時に帰ることも残業することも、どちらが正解かは分かりません。自分の意思がどこまで確かなものなのかが重要なのでしょう。

自分の意思で残業しているつもりでも、気付かないだけで強制されているかもしれません。人生を冷静に見つめることができるかどうかが仕事に対する意識にも反映します。 

 

力の違い

当たり前ですが、人によって能力は違います。同じ仕事量をこなすのにかかる時間も違います。処理できる仕事の難易度も違います。同じ仕事を与えられたとしても、定時に帰れる者と残業せざるを得ない者が出てくるのは当然です。

能力の低い者は残業しても仕方ないのでしょうか。能力の高い者は自分だけ定時に帰っていいのでしょうか。そういうものではないと思います。会社員は個人事業主ではありません。個人が集まり会社になります。全体のパフォーマンスを最大化しないといけません。

個人の能力の底上げだけでなく、仕事の割り振りも重要です。能力の違いは厳然として存在するので、優秀な人間に仕事が集中することも起こります。会社としての効率化を目指すのならば自然なことです。しかし、能力と経験の差を考慮した上で仕事の最適化を図るべきです。会社全体と個人の能力の効率化に加えて、人材育成も行うのが上司のマネージメントです。

社員全員が能力の違いを認識しています。仕方ないと諦めている者や必死になって差を埋めようと足掻く者もいます。会社としての一体感はありません。ギスギスしています。

能力の違い、仕事の割り振り、特定の人間に負担が集中、協調性。解決すべき問題は多く、簡単ではありません。しかし、それらを解決すべく努力する必要があります。その先に仕事に対するモチベーションの維持や結果、全員の定時退社が待っているのでしょう。

 

事の成果と居場所

会社に必要とされるためには結果を示していかなければなりません。しかし、誰もが十分な能力があるとは限りません。また、能力は相対的に評価されます。定時で帰ることができるのは、求められている仕事量を時間内に終わらせることができるからです。

会社は必ずしも定時で終わる仕事量をそれぞれに割り振る訳ではありません。そうだとしたら、相対的に能力の低いものは十分な成果を示す仕事を与えられません。また、能力の高い者には、困難で時間のかかる仕事ばかりが割り振られます。

能力の低い者は、自身の存在価値を示せません。結果を出せない人は不安を感じるでしょう。同じ結果を出そうとすれば、時間をかけるしかありません。また、残業は仕事をしている印象を与えます。少なくとも残業をしている者にとっては、そのように感じます。残業をする人の多くは残業などしたくないのかもしれません。しかし、しなければ会社に居場所がなくなるかもしれないと怯えます。

一方、管理職は違う指標で評価されます。マネージメントとチームとしての成果です。優秀な管理職は成果を出しながら、グループ全体の能力の向上を図ります。仕事は次から次へとやってきます。チームを成長させないと、いずれ成果は頭打ちになります。

福永清次はできない管理職の典型です。自身のチームの能力を把握せず、オーバーワークを強いる仕事を引き受けます。できない可能性を全く考慮しません。仕事の遅れをメンバーのせいにして責任を免れ、自身を過大評価します。現実にいてもおかしくない管理職ですが。

評価をするのは管理職です。会社に居場所を確保するなら、管理職に睨まれる訳にはいきません。上司ばかり見ていては、いい結果は出せない気もしますが。

定時で帰るという目標は分かりやすい。しかし、目標を達成するための方法は人によって全く違います。定時退社だけを目標にして、仕事のモチベーションを維持できるかどうかは疑問です。

 

終わりに

定時に帰るというのは目に見える目標です。そのために必要なのは意識の変化です。残業しないという意識を醸成するだけでなく、仕事や働き方に対する意識を変えなければなりません。

東山結衣が残業をして、オーバーワークの向こう側にある世界を体験します。実際に経験しないと理解できないこともあります。理想ばかりで他人を説得しても、納得する人は少ないでしょう。しかし、本作の結末のような社会や働き方にならなければならない気はします。

最後までご覧いただきありがとうございました。