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『火星に住むつもりかい?』:伊坂幸太郎【感想】|世の中にはいろんな「正義」ばかり。

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 タイトルからは予想できない内容です。仙台を舞台に監視社会や国家権力の恐ろしさが描かれます。物語の冒頭は、中世の魔女狩りを連想させながら恐ろしい状況が続きます。現代の魔女狩りです。

 過去の誤った行いが、現代では決して起こりえないというのは幻想です。拷問による取り調べや意図された冤罪は最も縁遠いものと思いますが、生々しくリアルに描かれることで現実的に見えてきます。描かれている暴力や死は、さらりと表現されている中で強烈な怖さを印象付けます。人間の本能的な悪を見せつけます。

 犯罪防止のための監視社会には恐怖が潜みます。監視カメラと住人の相互監視による監視社会です。中世の魔女狩りでは魔女かどうかの真実性は重要でありません。生贄を得ることで自身の安全を実感したのでしょう。

 国家が魔女狩りと同様のことを行うことで住人をコントロールします。住人が安全な場所に居続けるためにはどうすればいいか。理由なく安全な場所からはみ出した時、人はどうなるか。黒い男の謎を含むことでミステリーとしても読み応えがあります。 

「火星に住むつもりかい?」の内容

「安全地区」に指定された仙台を取り締まる「平和警察」。その管理下、住人の監視と密告によって「危険人物」と認められた者は、衆人環視の中で刑に処されてしまう。不条理渦巻く世界で窮地に陥った人々を救うのは、全身黒ずくめの「正義の味方」、ただ一人。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「火星に住むつもりかい?」の感想

互監視と密告と不誠実

 平和警察は表の顔と裏の顔を使い分けます。恐怖によって作られた平和は犯罪件数を減らし、一定の効果を生みます。監視カメラはもちろんですが、住人による相互監視は監視カメラ以上に効果があります。人の数だけ監視カメラがあるのと同じであり、犯罪防止の効果的な手法と言えます。「誰かが見ているかも」は最も大きな抑止力です。見られれば死刑さえもあり得るとなればなおさらです。

 何もなければ監視されていても何も出てきません。相互監視が信頼関係を損なうとは言い切れないし、それ自体が悪ではないのかもしれません。何か悪いことを見れば警察に通報するのは当然です。

 問題は平和警察のやり方です。「密告」という言葉は後ろめたさを感じさせます。「通報」という言葉を使うことで心のハードルを下げます。それでも密告内容を適切に精査し、捜査を行い、正しい判断を下すのならば平和警察は正義になるでしょう。本来の警察の姿であり国家権力の務めです。住人はそのように信じていますし、信じさせられています。

 相互監視がもたらすものはギスギスした世の中でしょうか。一昔前ならば、地域の住民たちが地域の安全を共同で維持していました。現在は、近隣住人同士の無関心が犯罪を助長します。

 平和警察の恐ろしさは取り調べの拷問もありますが、犯罪を犯す前の人間を裁くことです。犯罪を犯す前に罪を裁けるでしょうか。その人間が犯罪を犯すかどうかを判断できるでしょうか。全く関係のない人間が犯罪者にされてしまう危険は容易に想像できます。証拠は密告と取り調べによる自白です。密告の真偽は問わず、どんな人間でも自白させる拷問があるのならば、誰でも犯罪を犯すことなく犯罪者にされてしまいます。

 不誠実な人間がいれば偽の密告が蔓延ります。真実がどこにあるのか分からなくなります。平和警察の目的は地域の平和でなく権力の維持であり、住人をコントロールするためには恐怖を植え付けるための人柱が必要です。平和警察だけで人柱を作り続けることは難しい。

 不誠実な密告を含めた多くの密告があってこそ、平和警察の存在価値が大きくなります。住人同士が疑心暗鬼になり団結することを妨げます。住人の方が人数が多いのだから、一致団結されることが一番問題なのでしょう。

 

れて馴染む

 平和警察は日本を転々と移動します。安全地区に指定された地域の犯罪件数が減少することで存在価値を高めます。結果を出す組織が存在感を増していくのは当然のことです。仙台が安全地区に指定されたことで、噂に聞いていた公開処刑が現実のものとして目の前に現れます。昨日までと全く違う状況が生まれます。密告と取り調べで危険人物になれば「死」が待っています。

 まさか自分が危険人物になるとは思いません。何もしていなければ密告もされないし危険人物にもならないはずです。平和警察の正当な捜査で危険人物が特定されるとすれば、平和警察を信頼していれば危険を感じません。ここで平和警察の実績がモノを言います。何もしていない人は何も恐れることはありません。

 やがて平和警察がいる状況に慣れ、当たり前のものとして馴染んでいきます。危険人物にされ初めて気付くが手遅れです。自分が危険人物にされるのはもちろんですが、身近な人物が危険人物にされてようやく気付くのでしょう。団結しない仕組みができているので味方は現れません。仙台の人口から見れば、危険人物の人数は微々たるものです。平和警察を信じる人が多数を占めればなおさら団結しません。

 相互監視と密告を当たり前のものとして受け入れると、密告のハードルが下がります。馴染んでいる証拠です。誰かが危険人物にされ、平和警察に連行され、取り調べを受け、公開処刑される。一連の流れができあがり、もともと存在した正しいシステムとして認識されていきます。慣れることの恐ろしさを感じます。

 

々の目と監視カメラ

 監視カメラは人々を監視するのに重要です。街中に監視カメラが増えていくのは、その重要性を反映しているからでしょう。それ以上に有効な監視の手法が密告です。人々の目が監視カメラになることです。

 監視カメラはデータとして事実を確認できます。しかし、人間の目が得た情報は口から出力されますが必ずしも正しいとは限りません。客観的な検証ができないので意図的に捻じ曲げられても分かりません。真の危険人物の特定が目的なら、人の目は確定的な証拠になりません。住人を管理するための手段として密告があるなら、情報の正確性は重要ではないのでしょう。平和警察が連行するための理由になればいい。

 連行するのに、どんな形であれ理由を必要とするのは何故でしょうか。地元警察に協力させているのも理由のひとつです。証拠がなければ地元警察から平和警察の実情がばれてしまいます。

 人間の目は都合のよい監視ツールです。確認できないデメリットが、平和警察にとってのメリットになります。人間の目は動く監視カメラであり、常に誰かが見ていると思わせます。そこから生まれる情報は好きに利用できます。

 

客から登場人物へ

 最も恐ろしいことは、一般人(観客)のはずが危険人物(登場人物)にされてしまうことです。密告が正しいかどうかが問題でなければ、観客でいられるかどうかは分かりません。また、密告が取り上げられるからこそ、誰もが密告するようになります。たとえ嘘の密告であったとしてもです。

 嘘の密告の裏には何らかの目的があります。その人物に対する嫌悪や憎悪も理由です。結果として危険人物に特定されたとしても取り調べの結果であり、たまたま自分の密告がきっかけとなったに過ぎないと考えるでしょう。平和警察の取り調べが正しいと信じているからです。平和警察は公開処刑をすることで目的を果たせます

 無理に自白させるのは何故でしょうか。地元警察の前では体裁を整えておかないとごまかしきれないからでしょう。地元警察は拷問の恐ろしさを理解しておらず、たとえ拷問されても身に覚えがなければ自白しないと思っています。平和警察だけが拷問の真の効果を知っています。真実でないことも真実だと認めてしまうことです。地元警察が拷問に慣れていってしまうことも恐ろしい。

 平和警察が舞台だとすれば、住人は観客であり、危険人物は登場人物です。キャスティングは平和警察が握っています。正しい取り調べが行われるならば観客に戻れますがそうはいかない。一方的なキャスティングです。

 観客(一般人)の方が圧倒的に多い。誰もが観客のままでいられると思い込みます。登場人物(危険人物)になることなど想像しません。登場人物が舞台(公開処刑)から無実を叫んでもすでに登場人物の台詞です。観客にとっては劇中の一場面にしか見えませんし、その叫びは真実に感じません。どんな過程であろうと登場人物になった時点で終わりということです。 

 

義は主観的

 正義は立ち位置によって変わる主観的で不安定なものです。平和警察は、自身を悪だと思っているでしょうか。おそらく思っていません。また平和警察に協力する地元警察も、自身を悪だと思っていないでしょう。

 黒ずくめの「正義の味方」は、濡れ衣を着せられた危険人物から見れば正義です。平和警察にしてみれば「正義の味方」の呼称は使いたくありません。正義の反対は悪であり、平和警察が悪になってしまいます。黒ずくめの男自身が、自らを正義の味方と思っていないところも面白い。黒ずくめの男が正義を感じていないのは主観と客観の違いです。客観的に見えていることが必ずしも主観と一致しているとは限りません。

 黒ずくめの男は自ら登場人物になることを選びます。成り行きだとしても行動に移すことが重要です。できる限りのことをできる範囲で行うことはなかなか難しい。結果が伴うとも限りません。

 大事なのは何でしょうか。

  • 動機が大事か
  • 行動が大事か
  • 結果が大事か

 全てかもしれませんが、何かが欠けたからと言って正義が無くなる訳ではありません。手の届く範囲で正しいと思うことをするのも正義のひとつです。黒ずくめの男は実力以上のことを求めてしまいますが。

 真壁鴻一郎が最も現実的で計画的で行動力があります。薬師寺警視長の失脚を目的としていたのならば、黒ずくめの男の登場は都合が良かったのでしょう。黒ずくめの男の登場に真壁は関わっていません。うまく利用したということです。状況に応じて計画を変えていく柔軟さです。

 ただ、真壁も正義と言えません。あくまでも平和警察の行き過ぎを修正するためです。薬師寺警視長を失脚させることでしか平和警察を変えることはできないということでしょう。それまでの犠牲は仕方のないということか。

 

終わりに

 平和警察のトップは変わりますが解体されません。平和警察が変わっていくにしても、緩やかに変化していくだけです。危険人物という冤罪と公開処刑は続きます。徐々に変わるのでしょう。

 平和警察が変わった姿は描かれません。平和警察の存在が犯罪件数を減らしていることは事実です。一度勢いのついたものを止めるのは難しい。