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『魔眼の匣の殺人』:今村昌弘【感想】|予言の裏にある真実は・・・

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 「屍人荘の殺人」では、ゾンビを使ったクローズド・サークルに驚かされました。クローズド・サークルの作り方として新鮮であり、バイオテロという根拠を持ってきているので全くの虚構とは思わせないところがありました。そうは言っても現実味があるという訳でもありませんが。

 

  

 本作での新しい要素は「予言」です。小説のテーマに「予言」を取り上げるのは珍しいことではありません。問題は、100%の確率で当たると言われていることです。100%になると一気に非現実的になってきます。しかし、読み進めていくと意外に無理がない。ミステリーに「予言」と言う要素が馴染みます。現実的なトリックに「予言」という不確定要素が取り入れられる。それだけでストーリーが複雑になり、推理が難しくなります。予言が本当に100%なのかどうかで、その後の展開も大きく変わってきます。読者も予言の真実性を疑いながら読み進める必要が出てきます。 

「魔眼の匣の殺人」の内容

「あと二日で四人死ぬ」閉ざされた“匣”の中で告げられた死の予言は成就するのか。【引用:「BOOK」データベース】 

「魔眼の匣の殺人」の感想

言の存在

 予言者「サキミ」の予言を信じるかどうか。読者にとって最も重要な鍵になります。登場人物の中には、信じる者もいるし信じない者もいます。読者としてどちら側に付くか。それ次第で予想が全く変わってきます。私は、予言が100%当たるなどと言われても眉唾にしか聞けませんが。

 物語の設定として、予言は真に存在するものとして描かれているのか。それとも偽物として描かれているのか。読み進めると、正しいと思わせる描写が続きます。ただ、予言が存在するとなると、本作はオカルトものになってしまう危険があります。科学的に立証されていないからです。アトランティスというオカルト雑誌の編集者を登場させることで、予言の信憑性が更に下がっている気もします。しかし、班目機関の存在が100%否定出来ないようにしています。謎の存在として前作から描かれているからこそ予言を笑い飛ばせません。

 村人は経験から、比留子は班目機関の存在から、予言に対して信憑性を感じています。登場人物の多くも、予言に疑問を感じながらも信じている様子があります。 

少なからず、予言に対して関係性を有している人物がいるからですが。 

 徐々に明かされていく背景が、予言の信憑性を増していきます。人の心は微妙なので、登場人物たちも予言に対する考え方と捉え方が微妙に変化していきます。その変化が読者にも伝わります。予言に対しどのように考えればいいか迷ってしまいます。状況と情況で簡単に変化するのが人の気持ちなのです。

 サキミの予言が真実としても、どのようにして4人の死者が出るかまでは分かりません。

  • 殺人として起こるのか。
  • 事故として起こるのか。

 事前に予言を聞いた者が殺人を計画し、4人を殺害したとしても予言は成り立ちます。結果的偶然として4人が死ぬこともあります。前半は予言の信憑性を捉えられないまま、関係性の薄い登場人物のために先が読めません。

人目の犠牲者

 一人目の犠牲者が事故だったからこそ、予言に真実味が帯びてきます。地震も土砂崩れも自然現象であり、臼井が巻き込まれたのも偶然です。予言を利用した殺人とは言い難い。初対面ばかりの中で臼井を殺すことの動機も見つかりません。一方、起点となったアトランティスの記者が最初に死んだことは、偶然と言っていいのかどうか疑問の余地の残るところです。予言の裏側に何かあるのではないかと思わせます。

 続いて、葉村が一酸化炭素中毒で命を落としかけます。葉村に魔眼の匣との繋がりがないのは明確です。これも事故なのか。事故だとしても、命に関わることが続けて起こること自体に意図的なものを感じさせます。その後の十色の死と茎沢の逃走。次々に起こる出来事は予言の結果で片付けられません。予言に隠された計画的殺人なら、死ぬ対象に関連性がなければならない。しかし、葉村が加わったことで関係性を見つけられません。葉村を除いたとしても、そもそもの繋がりがあるのかどうか。予言と死と彼らの関係が複雑に絡み合って先が見えなくなるのは、最初の死が事故であることと葉村が巻き込まれたことが理由でしょう。 

ローズド・サークル

 前作に引き続き、クローズド・サークルが舞台となります。ミステリー小説としては王道の舞台設定です。前作は意外性のあるクローズド・サークルに驚かされました。本作は、町に通じる橋が焼け落ちることによりクローズド・サークルが完成します。クローズド・サークルの作り方として目新しいものではありません。何らかの理由で外界との連絡手段が閉ざされることはよくあります。一般的には自然災害によるものが多いですが。

 重要なのは橋が焼かれた理由であり、天災ではなく村人の手で焼かれたことです。予言が真実なら村人の行動は自然であり、閉ざされた人々は不運に過ぎません。しかし、予言を利用した連続殺人としたなら、橋が焼かれたことも意図されたことになります。村人と犯人が通じているとは思えません。橋が落とされることを犯人が予測できるはずもない。ここでも、予言の真実性と計画殺人の関係がはっきりしません。果たして予言なのか。計画殺人なのか。予測出来ません。

 計画殺人だとすれば、橋が落とされたことも計画になります。加えて、集められた人間にも必然性がいります。少なくとも比留子と葉村は必然を以って集められた訳ではありません。他の者も偶然、魔眼の匣に集まったに過ぎないように見えます。

 登場人物は一気に登場し閉じ込められます。個性的だから覚えやすいし、比留子の覚え方講座も登場するので登場人物で混乱することはありません。一方、人物評が固定化されます。そのことがミスリードを生む可能性もあります。読者は、比留子の人物評の範囲内で予想してしまいます。比留子の人物評を信じることは、時にストーリーを読み誤らせる可能性があります。予想を外し、意外性を生むための著者の意図が感じられます。 

的トリックと心理

 魔眼の匣は地下1階、地上1階の二層構造です。部屋数も少ない。その割には、登場人物は多い。魔眼の匣の中では、登場人物の行動に自由度は少ないということです。自由度が少ないから選択肢が少なくなり推理しやすいと言うことにはなりません。逆に、どのように行動すれば結果を生み出せるのかが見通せません。だからこそ計画的な殺人なのかと疑問を抱きます。

 重要になってくるのは繋がりです。繋がりが分かれば動機も見えてきます。ホワイダニットが分かれば、あとは方法論だけです。ハウダニットから消去法で犯人を特定することも出来ます。ホワイダニットから浮かび上がらせることも出来ます。どちらも難しいことに変わりはないですが。一方、予言が真実という選択肢も残っています。

 方法論は、物的トリックに繋がります。感情論は隠された心理に繋がります。クローズド・サークルで可能かどうかの方法論を描きながらも、真相は登場人物の心理だったことが意外です。結末は意外性の宝庫です。果たして読み切れる読者がいるのかどうか。相当に難しいと思います。少なくとも私には分からなかった。伏線があったのかどうかも。 

留子と葉村

 シリーズ化を考えているのでしょう。班目機関の謎を残した終わり方は、続編を期待させます。比留子と班目機関との繋がりも謎のままです。葉村の震災の記憶も、いずれは二人の関係に影響を及ぼしそうな気もします。地震を予測したりするだけのために設定しているのではないでしょう。

 二人の微妙な関係性は徐々に進展していくのでしょう。お互いに好意を抱いていることは、彼らの言動からはっきりしています。彼らの関係にもどかしさを与えているのは、シリーズ化を目論んでいるからでしょう。葉村は語り手であり、比留子はヒロインです。本格ミステリーだとしても、主要登場人物に魅力がなければ読んでいてつまらない。 

彼ら自身の物語をアクセントとして加えることで軽快さとユーモアも加えています。

 大学生が頻繁に殺人事件に巻き込まれることに違和感はありますが、比留子の特異性と班目機関を存在させることで理由付けされています。班目機関の呪いのようなものを匂わせることで、比留子が事件に巻き込まれることに一定の要因を作っています。

 ただ、二人だけを中心に描いていけば、いずれマンネリ化して物足りなさを感じてしまうかもしれません。そう思うと、前部長の濃いキャラがいなくなったのは残念です。今更登場させるのも無理があります。二人以外に個性のあるサブキャラが登場してくるのでしょうか。 

 終わりに 

 「ゾンビ」に続き「予言」です。班目機関を背景に置いているから、意外性のあるトリックを作りやすい。本格ながら特異性が際立ちます。本格ミステリーとは一線を画しています。都合の良い色物になることの危険さは伴うと思いますが。

 次作の期待度も大きい。「屍人荘の殺人」は映画化されます。イメージ通りの出来なら、映画と小説の相乗効果でもっと売れるでしょう。二人を中心としたミステリーは、まだまだ続きそうです。