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『クドリャフカの順番』:米澤穂信【感想】|十文字事件と文集「氷菓」は結末は・・・

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 こんにちは。本日は、米澤穂信氏の「クドリャフカの順番」の感想です。

 

 古典部シリーズの第三作目。「氷菓」「愚者のエンドロール」で鍵となった神山高校文化祭(通称カンヤ祭)が舞台です。「クドリャフカの順番」を含めて、ひとつの流れになっています。

 

 

 

 カンヤ祭は神山高校生にとって特別な存在です。そもそも文化祭は特別な行事ですし、非日常的な雰囲気と熱気に溢れているものです。文科系部活の多彩さがカンヤ祭の特色を際立たせています。各部の企画が面白い。

 一方、文化祭で思い浮かぶのはクラス単位の企画ですが作中には登場しません。部活に所属していない生徒は観客として楽しむのでしょう。クラス単位の企画がないので参加を強制されません。そのことも盛り上がる要因かもしれません。仕方なく参加する者はいなくなります。

 高校生にとって高校は生活の大半を占めます。そこで起こる出来事はどんなことでも大きな事件になり得るし、しようとするものでしょう。

 カンヤ祭は「氷菓」「愚者のエンドロール」から続く重要な行事です。そこで起こる「十文字事件」とは一体何なのか。トラブルと事件と思惑の絡まり合いの行き先はどこにあるのか。奉太郎はじめ古典部の四人の個性に引き込まれます。 

「クドリャフカの順番」の内容

待望の文化祭が始まった。だが折木奉太郎が所属する古典部で大問題が発生。手違いで文集「氷菓」を作りすぎたのだ。部員が頭を抱えるそのとき、学内では奇妙な連続盗難事件が起きていた。盗まれたものは碁石、タロットカード、水鉄砲―。この事件を解決して古典部の知名度を上げよう!目指すは文集の完売だ!!盛り上がる仲間たちに後押しされて、奉太郎は事件の謎に挑むはめに…。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「クドリャフカの順番」の感想

化祭の高揚感

 三日間の文化祭は解放感に溢れています。浮かれている学生の雰囲気が伝わります。クラス企画でなく部活企画だからこそ伝わる高揚感です。自発的に入部した部活だからこそ積極的です。

 一方、人が集まれば人間関係も複雑になります。漫画研究会で摩耶花が置かれた状況が複雑さを感じさせます。複雑ですが分かりやすい。敵・味方という二元的に物事を捉える人間が多い。そのことが複雑な悩みになるのでしょう。閉じられた世界で起こる二極化は解消不能な状況をもたらします。同じことに興味を持って入部したとしても、必ずしも方向性が同じとは限りません。楽しいだけでない世界が現実感を抱かせます。

 摩耶花の状況は別にして、学校全体は高揚感に溢れています。教師が登場しないことも理由のひとつです。学生主体の文化祭の印象を受けます。学校側の圧力や介入がないのは、一作目の「氷菓」を読めば理由の一端が分かります。カンヤ祭に対する神山高校生の思いが受け継がれているのでしょう。

 一大イベントを学生が主体で実行するには、各部活が無秩序に活動してもうまくいきません。カンヤ祭を取り仕切る総務委員会はあまり描かれませんが重要な役割です。総務委員会は物語の重要な要素にもなります。

 盛り上がる理由は自分たちで作り上げるからです。部活で企画したものを作り上げ、それらを合わせて文化祭自体を作り上げる。活動が消極的な古典部でさえ文集を作成し販売します。文化祭の構成要素のひとつとして存在しています。

 苦労すればするほどのめり込み充実感を得られるのが文化祭です。努力のないところに熱中や興奮はありません。高校生の勢いを感じます。

 

典部の目的

 古典部の企画は、自主制作した文集「氷菓」の販売です。企画としては地味ですが、古典部の名称に相応しい。内容は「氷菓」事件でカンヤ祭の由来です。「氷菓」事件の真相を解き明かした奉太郎たちには特別な出来事です。カンヤ祭を楽しんでいる今の学生にとっては過去の出来事であり、あまり重要でないかもしれませんが。

 教室の場所も悪いのでそれほど売れないと判断します。妥当な部数を発注して全て売り切れば充実感を得られます。少なすぎず多すぎない部数を設定していたはずです。誤発注で200部になってしまいますが。200部がどれくらい途方もない数字なのかは生徒数から分かります。高校内で売り切ることは至難です。回し読みされることも考慮しなければならない。

 一部200円が高いか安いかの問題もあります。200円自体は高くないが、「氷菓」に200円を費やすことを高いと感じるかどうかは別問題です。200部になったことで古典部の目的が達成困難に陥ります。しかし、困難ですが完全に不可能とは言い切れません。200部を売り切るための行動を起こすことになりますが、文化祭を楽しむこと自体を諦める訳ではありません。「氷菓」を販売することの優先順位が上がっただけなのでしょう。里志の行動を見ていると分かりやすい。

 最初から最後まで、「氷菓」の販売が古典部の大目的です。千反田はそのために行動し、里志は行動方針に追加し、摩耶花は動けません。奉太郎はなかなか動かない。

  • 「氷菓」を売ることが目的なのか。
  • 「氷菓」の内容を知ってもらうことが目的なのか。

 知ってもらうために売るのだから後者が先でしょう。しかし、200部になった時点で売りさばくことが目的になります。現実的な目的は分かりやすい。方法は手探りだし実を結ぶかどうかも分かりません。分からないからこそ、彼らが起こす行動がどこに繋がっていくのかが見えず面白い。 

 

典部員の行動

 物語の視点が四人の間で入れ替わります。彼らの行動の根底には、文集「氷菓」があります。それでも文化祭に対するスタンスには違いがあり、視点が入れ替わることで明確になっていきます。古典部は緩い部活であり拘束されないことが長所です。個々が独立して動きます。

 独立しながらも四人の関係性は薄くありません。特に奉太郎と千反田の組み合わせは物語の要点を作ります。千反田がいるからこそ奉太郎が動くきっかけになります。千反田の予想外の動きと思考が物語を進めます。そして奉太郎は千反田に巻き込まれていきます。

 千反田の行動のほぼ全てが「氷菓」の宣伝のためです。「氷菓」のためというよりは摩耶花のためと言った方が正しい。単独で動くこともあれば、里志と組むこともあります。奉太郎の意見で動くことも。千反田が最も多く行動するのは、古典部の部長であることも関係しているのでしょう。

 里志の行動も一貫しています。行動方針は文化祭を楽しむに尽きます。誤発注があっても変わりません。文化祭を楽しむことに「氷菓」の販売の目的が上乗せされたに過ぎません。里志は何かを犠牲にしません。

 摩耶花は漫画研究会に拘束され古典部のために動けません。漫画研究会では果たすべき役割があり古典部には明確な役割はありません。古典部ほど気楽でないのは人間関係も影響しています。人間関係が物語の重要な鍵になる訳ですが。

 奉太郎は変わりません。文化祭を積極的に楽しむ気はなさそうですが、全く無関心ということもない。千反田に振り回されているように見えますが、行動は自発的かつ自己責任的です。だからこそ問題を解決できます。

 

文字事件

 文化祭を揺るがすほどの事件ではありません。事件の本質を知らない人にとってはイベントのひとつくらいにしか映りません。文化祭を盛り上げるにはちょうどいい事件なのでしょう。事件を「氷菓」の宣伝のために利用するのは、あくまで古典部の目的のためです。十文字事件の真相を暴くことよりも古典部のために利用することを考えます。

 奉太郎たちの予想通り、事件の最終目的地が古典部であるなら単なる愉快犯に過ぎません。実際、誰もがその程度にしか考えていません。もちろん、犯行方法の謎が残るのでにわか探偵が増えます。イベント化している証拠です。

 奉太郎が事件に着目したのは、「氷菓」の宣伝に使えるかもしれないと判断したからです。しかし、千反田の好奇心が奉太郎を刺激し、事件の真相を探らせます。部室での店番なので安楽椅子探偵のような存在です。もたらされる情報だけで謎を解明し、事件の犯人を捜し、動機を探ります。単なる愉快犯であれば、犯人を特定できません。裏側にある何かを繋げていくことで隠されていた思惑に気付くことができます。

 

待の裏側

 「期待」という言葉がキーワードになります。

 里志は十文字事件の解決に乗り出しますが、データベースの能力の限界を知ります。データベースは解決することはできません。結果、奉太郎に期待することになります。

 期待の裏側に諦めがあることなど考えたこともありません。期待は相手に対してポジティブな思いを伝えることだと思います。しかし、逆に自分自身に対してはネガティブな意味になるのでしょう。自身に出来ないことを相手に求めるのですから。

 河内は春美に対して「期待している」と言えません。期待の裏側の意味が自分自身に圧し掛かります。里志は自分の立ち位置を認識し期待を受け入れることを表明します。

 期待という言葉が物語全体に影を落とします。文化祭の熱気の後に、心の中に落ちる影が見えます。「氷菓」は売れましたが、結末は物悲しいような微妙な感覚が残ります。決して悪い意味ではありませんが。

 

終わりに

 古典部四人の視点で描かれることが面白くて引き込まれます。それぞれが視点になることで個性が際立ち、心の内が見えてきます。里志や摩耶花の繊細な心が伝わります。千反田の心の内は見えにくいですが。

 奉太郎の信条「やらなくても良いことはしない。やらないといけないことは手短に」は、千反田がいるとなかなか思い通りにいきません。